マラリアの発祥
【マラリアの発祥】
長崎大学医学部の相川忠臣教授は、「ポンペが長崎にいたのは、一一八〜三三歳という若い時でしたが、とても誠実で、医学教育にも大変熱心な人だったと思います。周囲からの信頼も得ており、恩師のポンペを神社にまつるほど崇拝する弟子もいたほどです」という。平安時代の日記や文学に描かれた「痩」や「わらわやみ」という病気は、実は「マラリア」だったと考えられている。『源氏物語』の「若紫」でも、鱈を病んだ光源氏が祈祷を受けるために訪れた北山で、幼い紫の上と出会う場面が描かれており、当時、マラリアがかなり蔓延していたことがうかがえる。実際、藤原道長の『御堂関白記』では、痘をわずらった東宮・淳良親王が、一日に熱発作を起こしたと記され、名高い歌人の藤原定家や、『十六夜日記』の阿仏尼も擢にかかったという。日本の医史を研究する、順天堂大学客員教授の酒井シヅさんによると、「マラリアは、現代では熱帯地域特有の病とされていますが、古代の日本では土着病でした。擢死を招く病であった平安時代には、病の原因が怨霊にあると信じられたため、解熱作用がある菅嵩などの漢方薬よりも、まず加持祈祷が行われました」というマラリアにかかった有名人の中でも、特によく知られているのが平清盛である。養和元年(一一八一)、頭痛と熱の発作に見舞われた清盛は、比叡山の霊水につかって貧体を冷やすどころか、それが熱湯に変わっもんぜつてしまうほどの高熱で、数日後に悶絶死したとおびやいう。そしてこの高熱は、怨霊に脅かされたためと考えられた。
